「好きなことで生きよう」に違和感【卵が先か、ニワトリが先か】

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こんにちは、「やす」です。

2025年になりましたね。明けましておめでとうございます。

1日、1週間は長く感じるのに、1年となると一瞬に感じます。

本日は「好きなことで生きよう!」という情報発信をしている人たちに対する違和感について書いていこうと思います。

私自身、公務員の仕事を続けていくことに限界を感じ、Youtubeで八木仁平さんの動画に出会い、「自己理解」の大事さを知り、33万円の「自己理解プログラム」を受講し、「本当にやりたいこと」をやって生きていきたいと強く思い、公務員を辞める決断をしました。

そして、「自己理解プログラム」で導き出した「本当にやりたいこと」は「コーチングを通じて、自分と同じように苦しんでいる人を救うこと」になりました。

人が求める「価値」を私が提供し、その「対価」としてお金をもらうというサイクルを回し、持続可能なビジネスにしていく為に兎にも角にも集客が必要でした。

そこで当ブログやX(旧Twitter)で情報発信を始めたわけですが、だんだんと違和感を感じ始めました。

それは、「耳障りの良いことばかり発信して、それに共感してくれた“誰か”が私のように仕事を辞めて、その結果、上手く行かなかった場合の責任って誰が取るんだ?」というものです。

もう1つ。「私自身が好きなことで生きられていない現状で、どの口がそんなこと言って(発信して)るんだ。おかしくないか?」です。

まず1点目の責任の所在ですが、実際は行動を起こした本人にあると思います。でも、それを煽った人に全く責任はないのか?と考えると、ゼロとは言い切れないと感じます。

「自己理解プログラム」は多くの人が悩む自己分析を単純明快な式(大事なこと×得意なこと×好きなこと=本当にやりたいこと)にする事で多くの人の役に立っていると思います。

しかし、その後、「本当にやりたいこと」で人生がうまく行くかどうかなんて分かりません。上手く行ったらプログラムのお陰。行かなくても、本人の努力不足、運がなかった等で済む話しですからね。

だから、私は「みんな、誰でも、好きなことで生きられます!」「好きなことで生きるなんて、簡単です!」とは言えないな…。そう感じました。

また、そもそも論で、私自身が好きなことで生きられていない現状にも関わらず、このような内容の情報発信をすること自体が嘘をついていることになると思いました。

葛藤はありました。それこそ、「卵が先か、ニワトリが先か議論」のように。

「みんな、やりたいことで生きられます!」という情報発信をするうちに、私自身がコーチングで生計を立てられるようになるのか。

それとも、実際に他の好きなことで幸せに生活ができるようになってから、コーチングも並行して始めるべきなのか。

私は後者を選ぶことにします。

自分自身にも他者にも嘘はつきたくありません。

私自身が幸せに、好きなことで生活できるようになってから、「コーチングサービス」を提供します。

「やりたいこと」は1つに絞る必要はないと思います。

できるようになったタイミングでやれば良いだけだと思います。

私にとって「コーチング」は未だその時じゃない。それだけのことです。

年末年始の休み期間中に「自己理解プログラム」を自分ひとりで一部やり直しました。

「本当にやりたいこと」が少し見えてきたような気がしています。

そこに向かって進み、毎日やりがいを感じる幸せな働き方をできるようになりたいものです。

では、今日はここで終わり!